タイトル 古民具

古民具
当店では古民具、古道具の買い取りを行っております。お気軽にお問い合わせ下さい。


民具

民具とは、広く言えば、人々が日常生活に必要な物事を便利にするために作った道具のことす。このため各地域に受け継がれた個性のある 民具が古き時代の一般庶民(民)の生活を伝える貴重な資料です。

物質やモノを表す言葉には物・資・具などがあり、この中で民具は「具」に分類されます。道具・用具・民具などで呼ばれる物が民具です。

「民具」は、日常的で人々の身近にあった物であり、人々の暮らしに深く関わってきたものです。

「民具」の「民」は、伝承的な生活を担う一般的な庶民を表わします。それは同時に、既製品を購入して暮らす受身の消費者ではなく、物 の製造・使用・交換・流通・転用・廃棄・再生などに積極的に関わってきた主体的・積極的な生活を作り上げる人々のことをを指してわけです。

こうした民具からその時代の人々の生活振りを容易伺い知ることが出来ます。

古代の狩猟や農業に用いたものも当然民具です。こうしたものは世界各地で散見できます。

オーストラリアのアボリジニが使用するブーメランやアマリカインディアンの鷹の羽や銀製品なども当然民具と言えます。

民具は庶民の生活の中で、人々の知恵の結集として残されているものです。

古い家具、古時計、石臼、鉄鍋、桑、鋤、臼、人々の生活に役立ってきたもの、それはすべて古民具と言えます。

従って、上代の土器のようなものも元来は民具と解釈できるのです。しかし、土器が陶器・磁器に変転をして、現在ではそれらを道具と呼んだりしています。

これは時代的に階級制度が発達していたためで、同じ茶箪笥などでも、庶民的でないものは道具として現在、区別されています。

このように民具とは一般庶民に広く流通していた生活調度品とするのが適切だと私は考えています。


道具の概念

道具とは、美術的な側面から民具区別できます。現在では当時の上流社会で使用されたようなものと据えることが可能です。

つまり、具体的には大名家などに存在していたものです。これらは伝来品として代々受け継がれて来る場合もあります。

良く私たちが目にする水戸黄門の葵の印籠なども道具と据えることが可能です。

日本は古来、木製品の技術に優れていました。豊臣秀吉が朝鮮半島へ侵攻した理由は世界征服という野心、野望ではなく、陶磁器の技術獲 得だったとも考えられます。

当時の日本に漆器は当然に存在していたものと考えられますが、焼き物はまだ未発達だったのです。

秀吉は朝鮮の陶工を多数日本に集めて陶器を焼き始めたいと計画しました。秀吉はそれを侵略という手段を用いたために失敗してしましま
す。

初期伊万里は朝鮮半島に近い佐賀県で焼かれています。現在は有田焼とも呼ばれています。

これが基本となって九谷焼などが生まれました。

そもそも朝鮮と日本はもっとも身近な外国であり、距離的には中国よりも近いお隣の国です。

実際、天気の良い日は朝鮮半島からでも日本からでもお互いが見える距離にあったので、ジンギスカンは朝鮮半島侵略後、日本に侵攻して きたのです。

一般的な歴史はともかくとして、陶磁器の歴史としては5世紀頃、従来の土器に変わる革命的な出来事が起こるのです。

それも、朝鮮半島から伝えられました。窯を使う事によって、焼成の温度が、1200℃くらいになります。この製法だと土器よりも数段 硬く、丈夫に焼き上げる事が出来たのです。

同時に、轆轤(ろくろ)の技術も朝鮮から伝えられました。これによって綺麗な丸いお皿などが大量に出来るようになりました。

この頃の、陶器を須恵器と呼びます。また須恵器では、主に生活雑貨(壺、甕、すり鉢など)が焼かれていました。

こうして朝鮮の技術は以降、何度も渡来してきました。

10世紀~11世紀頃、やきものに釉薬をかけて焼く方法が朝鮮から伝えられてきました。これは瓷器(しき)と呼ばれてます。

そしてこの頃、朝鮮半島からは、青磁が輸入されるようになります。

この頃から、日本各地で陶器が作られるようになりました。

有名なところでは、備前信楽瀬戸です。


秀吉の朝鮮侵攻が失敗に終わりましたが、家康の代になると磁器の生産も盛んになってきました。江戸幕府は朝鮮半島との友好的な関係を 作り上げて、朝鮮半島から、陶工を多く招きいれ、九州の有田で伊万里として磁器の生産がはじまったのです。

この時代(江戸時代初期に生産された伊万里を古伊万里と呼びます。
当店の古伊万里のそば猪口
(江戸時代初期)
価格 50,000円~


伊万里焼は有田焼の通称です。その後、その技術が広く国内各地に伝えられていったのです。明治時代に入ると、陶磁器生産は、工業化さ れ、工場で大量に生産されていきました。

この頃から、ガス窯や電気窯が作られています。これは西洋の影響を多分に受けています。そして現代、技術的にも進歩した陶磁器は、セ ラミックとしていろんな製品に役に立っています。たとえば、ファインセラミックは精密な製品にも使われています。身近なものとして、 セラミック製の包丁なども登場しました。

こう見ていくと、陶磁器というのは、いつの時代も、生活に密着しているのが分かります。

しかし、そんな陶器を作るということを、生活のためでなく、趣味(遊びの1つ)として作っている現代は、それだけで、生活が豊だといえるのかもしれません。


陶器と磁器の違い

同じお皿でも違いがあります。

まず、大きな違いは、原材料が違います。陶器は、土の中にある、粘土が材料です。一方、磁器は、石を砕いた粉を水と練って粘土にしま す。また、その成分には、長石という鉱石が多く含まれます。

一方、陶器には、シリカという鉱物が含まれているのです。このシリカと、長石に代表されるアルミの組み合わせが、陶磁器には重要です 。たとえば、アルミが多ければ、磁器やファインセラミックのような硬い製品が出来ると言う事です。

陶器と磁器では、焼成温度にも差があります。野焼きで製作される土器などは、700℃~1100℃。この温度で成形されたものが素焼きの状態になります。植木鉢やレンガなどは、素焼きです。従って、水を透します。また、割れやすいという特性があります。


陶器の焼成温度は、900℃~1300℃です。この温度になると、粘土は焼締まりを起こします。釉薬が溶ける温度もこのくらいです。釉薬を何故塗るのかというと、これを塗布することによって、水の浸透が防止するためです。

備前焼は陶器ですが、これは、せっ器と呼ばれます。せっ器は無釉焼締と言って釉薬を使いません。陶器の種類は多数あります。

陶器に対して、磁器の焼成温度は、1200℃~1400℃と高めです。また、磁器には鋳込みと言う作り方で作られると言う特徴もあります。

「鋳込み」とは、石膏(せっこう)の型に、泥漿(でいしょう、水や珪酸ソーダなどを混ぜ合わせて液状にした粘土)を流し込んで作成する技法です。

陶器と磁器の相違は以上です。また、陶器と磁器では、雰囲気なども違いますよね。陶器は、なんだか温かみがするし、磁器は、高級感があったりします。


備前焼

備前焼は、須恵器の流れを汲んだ陶器と言えます。また自然降灰によって、器に独特な特徴が出る事が知られています。自然降灰とは、燃料となる薪(備前焼では、赤松が多く使われています)が灰となり、その灰が、自然に陶器にかかり、溶けて釉薬としての役割になるのです。

備前の特長には、胡麻(ごま)、 殘切(ざんぎり)、緋襷(ひだすき)、窯変(ようへん)などがあります。また、土には、鉄分を多く含む、田土を使っているのも特徴です


信楽焼

信楽は穴窯で有名です。穴窯は、須恵器の時代から使われていた窯で、最も原始的な窯で斜面を掘って天井だけつけた形式の窯です。今は、耐火煉瓦で造ることが多いようです。また、灰を直接かける灰釉によって、素晴らしい模様が出ることでも知られています。また 、たぬきの置き物なんかも有名です。

唐津焼は信長・秀吉の時代に茶道が流行したことから発展し、「一楽二萩三唐津」と呼ばれるほどの、わび茶碗として定着しました。唐津焼には蹴ロクロを使ったものや 連房式登り窯による焼成などに特徴があります。

また、板で土を叩いて、より軽く、強くする古唐津特有の「叩き造り」が知られています。有田焼や伊万里焼が主に分業され、各工程が別 手とした製品とした完璧であるのに対して、唐津焼は、使用過程で器が育ち、熟成されていってます。

また、絵唐津、斑唐津、朝鮮唐津など、様々な表情や景色を見せるのも唐津焼の特徴です。


萩焼

萩焼の特徴の一つに「貫入(かんにゅう)」があります。 貫入というのは、萩焼きを始めとする陶器には比較的よく見受けられる釉表面のヒ ビのことです。

このヒビは窯出し時、窯出し後の冷却の際、素地と釉地と釉薬の膨張率と縮差の違いによっておこります。日本では、こうしたヒビは欠点とは見なされず、一種の模様や景色として、その焼物を特徴付ける個性ととえられています。


九谷焼

九谷焼は、石川県で作られる焼き物です。その最大の特色は「上絵付けを離れて九谷焼はない」とまでいわれる色絵装飾の美しさにあります。上絵付けとは本焼きした陶磁器の釉薬の上に紋様をかき、もう一度焼くやり方のことです。そのとき、用いられる絵具は、赤・黄・緑 ・紫・紺青(こんじょう)の5色で、これを「九谷の五彩」と呼んでいます。

藍九谷の香炉
(江戸時代後期)
     
左の画像のような侘び・寂びの感じを象徴した物を藍九谷と呼びます。


有田焼(伊万里焼)

有田焼は、通称、伊万里又は、伊万里焼とも呼ばれています。日本ではじめて磁器が焼かれたことで知られており、多彩な色を使った古伊 万里様式、正保3(1646)年には酒井田柿右衛門(さかいたかきえもん)らが、赤、緑、黄などの絵の具で文様を描く赤絵付けに成功し、 日本初の色絵磁器を生み出したとされています。

また、色鍋島は染付の青、上絵の赤、緑、黄色の四色を基本として描かれています。完璧を目指した文様などが特徴です。

古伊万里はヨーロッパで王侯貴族を中心に収集が盛んになり、今なお、『オールドジャパン』と呼ばれ、コレクターが増えています。

又、同じ伊万里でも佐賀鍋島家が伊万里市大川内に藩窯で製した磁気は、練達の工人を集め、技術的に日本磁器の最高峰にあると言われて います。これが鍋島焼きです。特に色絵付きのものは色鍋島と言われます。

尚、同じ九州地方では、陶器と磁器の双方を焼く薩摩焼があります。明治期の薩摩焼はヨーロッパ各地に輸出されました。
薩摩の香炉
(明治時代)
      
ヨーロッパには今でもこの手の香炉がたくさん収蔵されていると言われています。これはこの時代にヨーロッパで万博が行われた際の日本の出展物だったためです。